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構想cul cul farm and labo #1



発酵舎mammaへ、へしこ漬けを習いに行ってきた。

小学1年製の娘は学校生活を楽しんでいる。友達とも和気藹々とし、先生たちも優しくて好きだと言っている。帰宅する時もいつもご機嫌だ。 毎日夕飯の時には「今日も楽しかった?」と聞くのだけど、「うん」と即答しない日はない。

ただ時折、ん?と思う時がある。発言から全体主義的な匂いを感じた時。自分が子供の頃から感じ取ってきたあの嫌な感じはいまだに残っているのだなと再確認する。子供というより、個人の根っこを腐らせようとするような抑圧。言語による意思疎通がだいぶ出来るようになったと言ってもまだ難がある、ということを差し引いても感じ取れる。 コロナ禍福の中それは強まったようだ。学校側は世間に応じるしかない。よほど志のある校長でもない限り。

学校では今頃時計の読み方を習っていると聞き、ある意味安心した。学校生活は楽しんでいるし家でもできる勉強をやっているのだから、安心して学校を休ませられると。そして本当の学びを得られる場所へと一緒に行けると。

へしこ作りは私たち親にとっても初めての経験だった。なので親の学び直しの姿を子供に見せられるのも良いと思う。たまには怒られている姿も見せることになるだろう 欲しいものを得るためにどのように効率よく稼ぐかではなく、どのような姿勢で作るか、心構えとか。そして具体的な手順。そういったものを子供と一緒に学び育つ心地よさ。 へしこ漬けという発酵食品に寄せるたやさんという大人の考えを直に触れる機会となる。そういった場に身を置く体験というのは、18世紀の産業革命時代に考え出された学校では学べない。もはやテイラーの科学的管理法とともに価値観も手法も過去の遺物

へしこ漬けワークのあと、主催であるたやさんとお昼ご飯をいただいた。その時にたやさんから、自分の子供達は中学1年生の時から毎年誕生月は祇園へランチを食べに連れて行った。という話をうかがった。 真善美を養う視点は、シュタイナー教育で本物を大切にするという考えにも通じるし、IKTTの森本喜久男さんからもよく聞いた。 社会がコロナパニックに陥る前、我が家には外国人の旅人が毎月やってきた。そういった人と自国の教育環境について話し合うと、アメリカではホームスクーリング文化も育っているということを聞いていた。今だと日本では十把一絡げにフリースクールと呼んでいるような状態だけど、日本版ホームスクーリングが育ちつつあるのかもしれない。 我が家なりに自信を持って休学と通学を織り交ぜた小学校生活を子供と作っていけたら良いなと思う

そしてそれを無理のない範囲で公にし、必要とする親子にとって選択肢の一つとなれたらいい 今年から稼働させるcul cul farm and laboはそういった場にしたい

単なる田畑を利用したワークショップの開催地でもなく、農作業体験でもなく、フリースクールでもオルタナティブスクールでもなく どういう言葉をあてはめたらいいか、は実際に動いていたら出てくるだろうと思う。

7歳の娘と3歳の息子は鯖に糠を詰め、まぶし、樽に入れ、目の前に広がる田畑へと駆けて行った 美しい姿だった




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