中国アフリカ欧米田んぼ
- watanabetateguten
- 2021年2月24日
- 読了時間: 3分
今日は妻が整体師として稼ぎに出掛けた。
そこにいる大人達は子供と遊ぶのも好きなようなので子供達も一緒に。子供と触れ合うことがその人にとっての整体となっていることもあると思う。
ぼくは家の片付けをしたり掃除をしたり、昨日の強風で割れてしまった玄関ガラスを修理してもらう対応をしたり。午後は田んぼへ行き苗代の下準備を始めたい。なんて打っていたらズボンのボタンが取れてしまったので縫い付けることになった。
主婦ではなく主夫という言葉もうまれたが我が家には関係がない
どちらも主であり、どちらかが主でどちらかが従となりその関係性を固定して合理化するという二項対立的視点はない。あるのは状況に合わせた変化。始まりが終わりで、終わりが始まりのような生々流転の日々
非合理的に見えるかもしれないこの状態を維持する唯一の方法は非言語を含めたコミュニケーションだと思う
何かをおこなうとき、子供がまだ幼いので主語は家族になる。なにも大袈裟なことではなく「明日は何する?」といったような平凡な日常ごとから。
子供の歩みに合わせるので、世間のスピードは考えるだけ無駄だから意識しない
社会システムの変化や変質には関心があるけれど、それを待つ生き方はしない
誰々が世の中を変えてくれる、という言説に聞く耳がもてないのもそういったところにある
グローバルステートという言葉を使う人の中で、ピーター・ドラッカーの問いに充分答えられているものはあるのだろうか。
「知識は、数あるうちの1つに過ぎない資源ではなく、何よりも不可欠な資源となった
このことがポスト資本主義をもたらし、社会構造を根底から変える
新たな社会的ダイナミクスを生み出し、新たな経済的ダイナミクスを引き起こす
そして新たな政治を作り出す」
先日vivo barefootというまだ日本正規代理店がないメーカーの靴を購入する際に、決済手段に暗号通貨はないのかと少し残念に思った。暗号通貨を持ち始めたことで試したくなったのだと思う。日々、いや、毎秒のように価値が変わる仮想通貨が決済手段になるというのはどういうことだろう?と単純に不思議に思うから。
20年くらい前は、まだ正規代理店がないメーカーの靴を購入、なんてのは個人輸入という大層な名前が付いていた。それが今ではネットショッピングで楽々とでき、国際送金なんてお金のかかるやり方は不要で、クレカ、ペイパルと選択肢が増え、そして暗号通貨も広まりつつある。
実際に暗号通貨が所有することで身近な物になると、決済の際にQRコード決済普及前の時代、電子マネー普及前の時代、レジでの支払いが現金のみでやっとクレジットも使えるようになり始めたころと同じ感触を不思議と思い出す
ビットコインは金持ちのゲーム以外に何の役にも立っておらず、強いて言えば仮想通貨を切り開いたということにしてさっさと過去の遺物になってほしいと思っているのだけど、アフリカでは2013年頃からBit pesaとして活用されていることを知り驚いた。今ではアルトコインで同様のサービスが沢山ありそうだし、ETHやXRPは単なる金融商品ではなくまさにその地位を狙っていると思っていました。そんな悠長なことを言ってられない当事者の人達はm-pesaをもっと以前から活用されているけれど。
佐伯さんのコメントでアフリカにおける欧米と中国の様相を知ってからその視点で流れを見るようになりました。
アングロサクソン型資本主義の保守行動として見ると奇怪な行動も理解できることがあるので。
ただ、鍔迫り合いがどうなったって、身の丈や顔の見える範囲を大切にして日々暮らしていきたい
と、なんかやっぱり単純なところに落ち着く
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