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お月さん

田んぼに行くと、いつも野菜をくれるおばあちゃんがススキを獲っていた


「今日はお月さんやろ?」

道端に腰を下ろしてススキの手入れをされ始め、自然とお喋りが始まった

「米、よく成ったな。これはよおけとれるで」

「はい、ありがたいことに」

「私は畑は嫌いやけど、田んぼは好きやったよ」


これはとても意外だった。このおばあちゃんと挨拶したり、野菜をもらったりするのはいつも畑だったから。

そして、おばあちゃんの田んぼ仕事の話になった。

戦中の頃の話し。


「今の時期やと山へ草を刈りに行ってたよ。猪がおるから、草がわーっと開いとる。その寝床に子供を寝かせてな。

草を刈って、束にして、そしてここは雪が積もるから木の根本に置いとくんよ。3べんほどしばってね。そいで、春になったらそれを下ろす。1日に3回が精一杯やった。今みたいな肥料もないからね、草を漉き込むんよ。

畔草も今は機械でわーっとやってはるけど、昔は全部手刈り。

今の人は極楽やと思うよ。でも、そうは思ってはれへんけどね」


現代は手植え手刈りだけで「いいね!。わー、よくやらはる」となるが、そんな比ではない。

草が貴重だった話は他の人からも聞いたことがある。

「昔は国鉄の線路沿いの草刈りを地元の人らでやってな、後でみんなで分けて持って帰って、そんで田んぼに入れたんよ」


おばあちゃんの話は食べ物の話題になり、

「戦中はなんもなかったしね、草ばっかり食べとった。おかげで長生きさせてもらえたと思うよ。」

「野草は栄養豊富ですよね。でも、一手間かかりますね」

「いや、そんなでもないよ。(なんとかという)草は和物に良いし、(なんとか)はトゲをとってね炒めるとそら美味しいよ」


野草の刺をとる、なんてさらっと仰ったけど、それを厭わない精神は環境によって自分にも育まれるのだろうか。

野良仕事はじいさん(夫)と協働だったようで、

「いつかこんなクズヤ(茅葺き屋根)じゃのうて立派な屋根の家に住みたいないうて。

遊んでる暇なんてなかったよ。家帰ったら風呂炊いて、料理して。私は勉強が全然できへんかった。してる間がなかった。

でもそう言うと、その時代の人でも勉強して立派になってる人もおるやんか言われるけどね。

ある日じいさんが、『ばあさん、なんか欲しいもんあるか』と聞いてくれたことがあって、それでサンマが腹一杯食べてみたい言うたんよ。

肉、魚は旦那子供に食わせて家内にはあたらんかったから。当時は半分よ。1人一尾なんてあたらんかった。

魚を籠に入れて売り歩いてる人がいてね。秋やったんやろね、じいさんがサンマを買ってきてくれてね。

今でも忘れられん」


このおばあちゃんと出会ったのは、今の田んぼを借り始めた時。

田んぼに向かう道中、畑仕事をしていたおばあちゃんに挨拶をしたのが始まりだった。

初めて野菜をいただいた時に「また、何かお返しします」と言うと、

「そんなん言うんやったら何もあげへん」と叱られたことを思い出す。


大体80歳くらいまでの人は大差なくバーター取引、トレード、見返りありきが前提という人が大半という印象なので、新鮮だったし、こうありたいと思った。今だと贈与経済だのサーキュラーエコノミーだのと、かっこいい言い方をしてるだけで内実伴っていない人は著名人の中にも多い。

おばあちゃんは自分のことを「頭が悪い」と言うのだけれど、あんなに頭が下がる人はなかなかいない。

酒を酌み交わしたとか、長い時間話したわけでもないのに、耳を傾けたくなるし、誤魔化せないと思ってしまう。

恒大ショックだなんだんと騒いでいる世の中をどうみていらっしゃるのだろう。そんなもんに惑わされんとやることやれ、と言われるだろうか。


「今年はもう何をやってもしんどい。体がついてこおへん。百姓もできへんくなったらもうあかんわ。そう思うで。

もう充分長生きさせてもろたし。後は周りに迷惑かけんようにするだけや」


耳は遠くないし、受け答えもはっきりされている。動けなくなったと言ってもその辺の若い人より歩ける。

「お歳をお聞きしても良いですか?」

「91歳になったよ。いらん話してわるかったね。それ、なに?手伝おか?」

「いえ、すぐ終わりますので。ありがとうございます。また、お話聞かせてください」

「はい、またね」


また聞かせてください、は本心だけれど、無責任というか腑抜けた言葉だと自分でも思う。


SDGsやグローバルサウスに関する記事を読んでいると、「特権」というキーワードをよく目にする。

先進国と呼ばれる国に住む人にありがちな特権の無自覚と、無意識による特権行使。

使い捨て時代に生まれ育った自分が持つ特権。無自覚の特権。もっと意識した方が良いということなんだろうなと痛感した。

あれもこれもと思い当たるから。

戦中の暮らしに戻りたいとは全く思わないけれど、現代日本に住んでいるだけで特権所有者であるということは忘れないようにしたい。


明日から秋分

雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)



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